「イエ系」

「イエ系」(北九州芸術劇場) 10月26~29日、北九州市J:COM北九州芸術劇場

 

 家族とは何かを正面から問う作品に仕上がっていた。家族の結びつきが薄くなった現代社会を逆説的に批評する意図が作・演出の松井周にはあったかもしれない。

 近未来の北九州市が舞台。人口減と少子高齢化が進み、後継者不足などから閉店する商店が増え、商店街から活気が失われている状況を背景として描く。市はその対策として、様々な理由から家族を失い孤独である人たちを数人単位で集め、家族のふりをする「再家族」として認定し、参加者には特権を与えたうえで商店街で店を経営させる。ただし、個人の独立は保護され、疑似家族間の情交や必要以上の介入は禁止される。

 芝居ではラーメン店のオープンを間近に控えた疑似家族が、典型的な昭和風の家族団らんを楽しむトレーニングが続けられる。近所に「占いカフェ」を開店する予定の別の疑似家族が現れ、その母親役と娘役の2人が、ラーメン店の父親役の男性が20年前に捨てた恋人と実の子であることが判明したことから物語が輻輳していく。

 契約上の疑似家族と実の親子を対比しつつ互いの混乱を描いた点が本作のツボである。家族とは本来、無条件に互いが結びつけられるものである。鬱陶しくもあるが、その存在が支えにもなる。関係を切ったつもりでも、心のうちから家族の存在を絶対的に排除することは困難であろう。作中の父親役も実の娘とその母親の出現におののき、目の前に存在していること自体に苦しむ。

 タイトルにある家(イエ)という考え方は、伝統的な家父長的性質を引きずり、因循な部分を持つ。現代日本では、家族の過剰な愛情や介入、縛りつけ、もたれ合いなどから逃れようと、旧来の家族の結びつきの分断が進んでいるのは確かだろう。しかしそこには、決して逃れられないもの、断ち切ることができない心のつながりがあるはずだ。その心性の根源にあるのは、血のつながりなのか、家族だった原初の記憶や親子として一緒に暮らした経験なのか。では家族のふりの経験を重ねていくことで「再家族」にも芽生えてくるものなのか、あるいは別の何某かの要因があるのか。芝居を観ていてそういった問いが湧き出てきた。

 演出の松井は東京の演劇ユニット「サンプル」主宰。制作のために2年かけて北九州の人々との交流、取材をした。地元の土壌を掘り起こして演劇を制作する北九州芸術劇場の企画だ。日高啓介(東京)や北九州や福岡で活動する高山実花、上瀧雅大、寺田剛史らが出演。東京芸術劇場でも11月4、5日に公演する。(臼山誠)