「ロマンス」

「ロマンス」(劇団こふく劇場) 1月13、14日(北九州市J:COM北九州芸術劇場

 

 宮崎のある町に暮らす市井の60歳代、40歳代、20歳代、20歳前後(?)の男女4人がそれぞれ人生の来し方を省みる物語。心に空虚を抱えた者が、死や別れによって喪失した大切な存在に思いを寄せ声をかけ、魂の触れ合いから心の穏やかさを取り戻す。自身の今のありようを肯定的に受け入れることで明日への希望が生まれる。

 そうした姿に客席の私たちは感情移入し、過去と向き合って心の隙間を埋めつつ前へ進もうとする気持ちが生じていることに気づく。ダイナミックなストーリー展開があるわけではないが、上演時間130分の長さを感じないほど作品に引き込まれた。

 芝居の後半、現実に子どもはおらずとも自分のこと以上に誰かを大切に思うことができる人は老若男女を問わずすでに「お母さん」であると語られる。小料理屋かスナックかを経営する40歳代の女性(かみもと千春)は、老いた母親のその言葉に救われ人生への希望を取り戻す。

 これは、作、演出の永山智行が観客に投げかけた言葉だろう。利己主義があからさまに幅を利かせている現代社会で私たちは他者の幸福を願う心を失いつつある。周囲の幸せに寄り添う心性を日常のものとして取り戻すべきではないか、演劇を通じてそう訴えている。この芝居で手掛かりとしているのが古来の人々の思索や感情への視線と洞察だ。芝居では、昔ながらの日本家屋の縁側、板塀などを配置した舞台美術、能や狂言を想起させる役者の所作、太鼓の音による場面進行などが表現される。60歳代男性(濱砂杲宏)が子どものころ、64歳の誕生日で死ぬと老女から予言されたエピソードからは、かつての村落で巫女的存在として認知されていた神がかりの「狂女」が浮かびあがる。夢や幽界との交遊も盛り込まれ、自然への畏敬を象徴する「声の木」(大西玲子)は人々の生活を見守る。

 これらは安易な懐古の情ではない。人々が古来営み続けてきた伝統や文化には人間の生にとって何らかの意味や価値があるはずだ。土地に根付いて生を豊かなものにしてきた何ものかを、そして現代にも通じる何ものかを探り当て、現在から将来に生きる人間のために掴みとろうとする能動的な行為だろう。

 4人の物語はオムニバス的に展開する。次第に交錯していくのだが、そのことは大きなトピックにはならない。本作を際立たせているのは、各場面でスポットが当たるのは一人のみとした演出だ。正面を向いて自分の来し方を語る者以外は、舞台後方に下がるなどして補助役に回る。古代ギリシア演劇風にいえばコロスの役割を担い、状況の説明や語りの相手として、焦点が当たっている者の心の動きを際立たせる。生(なま)の歌唱などの音楽が随所で芝居に起伏をもたらした。背景の板塀がパイプオルガンや都会のビル群に見える照明の工夫も面白かった。

 時代に埋もれてしまう市井の人間個々の生を優しいまなざしで掘り起こした佳作。濱砂、かみもとの演技には厚みを感じた。有村香澄、池田孝彰も好演。2021年初演の再演で全国9か所巡演の6か所目。2月にかけて広島、那覇、宮崎・三股でも公演する。(臼山誠)