「いま、反転のまっただなかで」

「いま、反転のまっただなかで」(ブルーエゴナク) 2月2~4日、北九州市J:COM北九州芸術劇場

 

 突拍子もないストーリーではある。地元小倉の繁華街が舞台。人間が支配する悪弊に満ちた社会に対し反旗を翻した地下世界のネズミの大群が人間たちを襲撃し殺していく。こう書くと殺伐とした救いのない展開にも思えてくるのだが、世間から白い目で見られがちなフリーターや酒場の客引きたちが人間の尊厳を守るため最後までネズミ軍団に抵抗する。ユーモアを交えつつ、閉塞感の大きい現代社会を乗り越えた先にあるであろう新しい人間社会への希望も抱かせる物語だった。

 ネズミの群れの襲撃という描写からは、ペスト→新型コロナへと容易に連想がつながる。ここ数年の新型コロナの蔓延による社会の閉塞が本作の契機の一つではあるのだろう。しかし、この作品の基層には、いったん社会の底辺に落ち込むとそこから這い上がることが世代を経ても困難な状況にある現代社会への憤りがあるように感じる。芝居に出てくる若者たちは、すでに人生をあきらめ、社会への期待もなく、自分のためだけに刹那的に生を保っていくかたちで描かれる。フリーターらを軽蔑することで自分の今の状況を肯定するアルバイトもいる。

 作・演出の穴迫信一が眼差しているのは、社会の表層には浮かんでこない、つまり社会の表にいる人々の意識から抜け落ちている、いわば「負け組」同士で足を引っ張りあう者たちの群像だ。これまで日本人が努力を積み重ねて築いてきたはずの社会の公正、公平などの常識的規範はこの「地下世界」では大きな意味をなさない。芝居の中では、彼らはかろうじて情といったもので支えられている。現代社会が抱えるこういった不条理が本作の背景にある。

 観客を物語に感情移入させるのではなく、舞台上に創造する世界をあえて客観視させようとする作風といっていいだろうか。観劇後に様々に考えさせられる作品だった。地上と地下の下水道空間の物語を同時進行させたり、ラジコンのネズミを使ったりした演出は面白かった。出演は悠太、姉川華ら。芝居に重みを付加させた寺田剛史や内田ゆみの演技が印象に残った。(臼山誠)