「捨てられない女たち」

「捨てられない女たち」(劇団HallBrothers) 82527日、福岡市・ぽんプラザホール 

 

 建設されて半世紀以上経つ大型団地が舞台。かつて若い核家族が大挙入居したニュータウンでは住民の高齢化、過疎化が進み、日本全国で問題となっている。本作の団地も例にもれず、一人暮らしのお年寄りの孤独死を防ぐことを目的にコミュニティーの再生を図ろうとしている。大学建築工学科の講師とおぼしき男性研究者が音頭をとり、住民有志や学生と協力して団地の一角にカフェを開く。団地の老若男女が集う場にして、そこを起点に団地内の人と人とのつながりを取り戻そうという試みだ。 

 カフェのスタッフや周囲の者たちの団地への思いや本音がバラバラだったことからカフェの運営は迷走する。生まれ育った団地への愛着と活気のあった過去へ郷愁を抱く者、古いがゆえの家賃の安さを理由に移ってきた者、一軒家を建てる金をためるため一時しのぎのつもりの者……。分け隔てなく住民だれでもが集える場にしようとする女性店長の懸命さの前に、一応はスタッフみなが協力するのだが、運営責任者たる講師がこの試みについて本音では自身が准教授へ出世するために実績をあげる手段と考えていることが露わになり、カフェの目標がコミュニティー再生から来店者数を増やすことに変異してしまう。 

 考えさせられたのは、世界的に表面化している社会の分断と対立構造の一端がこの団地の住民たちの間にも存在していること、つまり日本の市井の人々の間にも浸潤している問題として描写していることだ。店長が体現している差別を廃して平等を志向するいわゆるポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)的な思考に対し、かつてのような均質な中流家庭が集まる団地を取り戻すことを望み、新住民の外国人たちを秩序を乱す存在だと捉えてマイノリティーの排斥を主張する中年女性を対置する。さらに、実際に外国人襲撃を行う若者、治安強化の主張や成果主義の思考も織り込む。講師を支える助教か助手であろう男性研究者の常に冷静な視点が、それらの主張を相対化させ、観る者に思索を促す効果を持っていた。 

 芝居は、みなが本音を吐露しあうことで改心し、スタッフ同士が和解する結末だった。だが、思想的な対立は棚上げにされたままだ。カフェと団地の今後の運命はどうなるだろうか。余韻に不穏なものを感じたのは私だけではないだろう。作、演出は幸田真洋。萩原あや、山中祐里、綿貫美月らが好演した。(臼山誠)