「おんたろうズ」(PUYEY) 4月22、23日、北九州芸術劇場。
「おんたろう」とは神様の使いだ。ストレスがたまっている人間に接して負のエネルギーを軽減させる使命を負う。大勢の「おんたろう」が世知辛い人間界で活躍しているとの設定だ。小学校の新米教諭(手嶋萌)も重圧に押しつぶされそうになっている1人。自分の経験を押し付ける先輩教諭、校長の独善的な方針を無批判に受け入れる教頭らに囲まれ、日に日に疲弊していく。精神的に病んでしまう同僚教師も出てしまう。
「おんたろう」の手法は単純である。自己の本音を押し殺して疲弊している者の背中を一押しして、本音を他者に向かって語らせ、気持ちを楽にさせるのだ。「おんたろう」に導かれた主人公は、書類作業に追われ児童と接する時間を削っている現状が教師として本末転倒であることに気づき、本心を教頭や先輩らにぶつけることで、自分を救うとともに教師として成長していく。
芝居自体は楽しく展開し、「おんたろう」が人間に変身する演出が面白かった。かぶりものを素早く取ったり再びかぶったり、または、舞台道具の裏で瞬時に入れ替わったりするテンポが非常に良かった。物語の舞台が小学校という前宣伝もあって観劇に来ていた多数の子どもたちと一緒に笑うことができた楽しいひと時。打楽器の効果的な使用などその他の工夫された演出に、子どもたちも演劇の面白さに五感で触れることができただろう。
物語のポイントになったのが、給食の残り物のミニトマトがトイレに捨てられた事件。当事者である給食当番の女児(高野桂子)が別の「おんたろう」に手助けされながら担任の主人公に告白するのだが、事件の根本原因は、残飯を出すことは不道徳であるとする校長の方針である。クラスの残飯がなくならいことへの責任感と重圧から、女児は残飯ゼロの目標を達成したと見せかけるために捨ててしまったのだ。ストレスが蝕むのは大人だけではない。現代日本のさまざまな世代、地域、組織で我々を蝕んでいることに警鐘を鳴らす。
描かれた小学校は、硬直した組織を独善的な校長が支配する典型的なブラック職場だ。権力を持つ者の実績作りや一見公正な指導の下で弱者が犠牲になっていることに、組織の文化になじんでしまった職員や当の権力者は気づかない。または気づかないふりをする。現実社会で我々は、組織の同調圧力や上司への忖度、周囲への気配りなどによって、多かれ少なかれストレスを蓄積させている。主人公のように職場で本音をぶつけることは実際は難しい。だが、自分の初心や本音を自覚し疎かにしない姿勢を保つことは負のエネルギーをため込まないために大切なことなのだろう。そして時には勇気を出してみようか。そんな思いを抱かせてくれる芝居だった。作・演出は高野。音楽は五島真澄。(臼山誠)