「家中の栗」(劇団HallBrothers) 6月28~30日、福岡市・ぽんプラザホール
今年が劇団創設25周年で「25周年記念公演ラッシュ」と銘打った企画の第2弾。2014年に初演した作品のリメイクだ。初演時はある家のある1日の朝・昼・夕の出来事を綴った短編3作の連なりだったが、今回はその1年後を描いたもう一話を追加し4話構成にしたそうだ。
劇団主宰で作・演出の幸田真洋が得意とする会話劇である。複数の価値観の衝突を経て、高みにある和合へと導こうとする。真摯な思索に支えられなければ安易な結末に陥りかねない手法だが、なかなか面白い芝居に仕上がっていた。
舞台は田舎の旧家。今なお親族のつながりが強く、従兄弟や又従兄弟、その子どもたちが親族会議のために集まってくる。親族会議そのものは描かれず、会議を前にした各時間帯ごとの異なる登場人物たちの異なった視点の会話で構成される。各話とも、穏やかな会話→意見の相違の表面化→対立→沸騰から(一応の)落ち着きへ、といった流れで描かれる。
家族にまつわるいろんな意見が登場するのだが、大きな対立軸になっていたのは、家族は家族だという理由だけで無条件に支え合わなければならないのか否か、という点だ。
問題の発端は、家業の後継ぎを次男に押し付け再三の借金などで親族に迷惑をかけ放蕩を続けてきた本家の長男が、またもや借金を背負って帰ってきて身ごもった妻ともども居候を続けていること。堪忍袋の緒が切れて絶縁しようとする次男夫婦、家族なのだからあくまでも助け合うべきだとする従姉妹、家族でも社会の常識的付き合いや礼儀が必要だとする義理の兄弟、その他保守的思考や現代的価値観なども入り乱れ、時には怒鳴り合いの末に一定の結論へと向かっていく。
HallBrothersの作品には、市場原理に基づく現代社会の価値観への批判的視線が伏流する。今作でもそれは変わらず社会的セーフティーネットの必要性も語られる。そして、家族のあり方に関して対立する論理・主張の根幹に、親子や兄弟の深い情があるのか否かによって我々の判断が揺れ動くさまが印象づけられる。人間の情を尊重しなくなった社会では、親子も兄弟姉妹も合理的でドライな関係と化してしまうがそれでいいのか。本作はそのように訴えているように感じられた。
出演は唐島経祐、萩原あやら。常人とは感覚がずれた役回りの水野翠の演技も面白かった。(臼山誠)